外で人と喋れない 場面緘黙症体験記

ある特定の場面で喋れなくなる障害
場面緘黙症だと知らずに過ごした約15年間
場面緘黙症を知ってから自分だけじゃないんだと少しらくになった
私の場合の特定の場面は主に学校と知らない大人との会話
私が喋れなくなった時から喋れるようになるまでの体験記
2016年現在20代女後遺症有り
場面緘黙症なりに生きてきた今までを下手なイラストと共に綴ります

始めたばかりですがブログサイトが使いづらかったので移転しました
http://kanmokuhikari.seesaa.net/←今後こちらで更新します2016.5.11

私が笑わなくなった日

小学校6年生のとき

私はクラスの仲のいい子2〜3人とだけヒソヒソ話のように話しをすることができたが先生や他のクラスメイトなどとは全く喋れない状態だった

昼休みの掃除当番で階段周りの当番だった

掃除当番は教室以外は確か先生が1人と4年生〜6年生の子が2〜3人ずつ当番としてそれぞれの持ち場に派遣され主に6年生がリーダーとなって掃除を行う

ある日いつものように掃除に向かうと5年生の子がすでに掃除を始めている

私の他の6年生の子が「何やってるの?まだ掃除の時間じゃないよ」と言った

5年生の子は「もう私たちやったから掃除終わったよ」と言うので

私達6年生は早く来て掃除を終わらせてくれたんだと思い掃除をやらずに廊下を歩いていると掃除当番の先生が反対から歩いてきた

この時担当だった先生は学校の中でも怖いと有名で体育系の男先生だった

一旦すれ違ったが戻ってきて「おめえら掃除はどうした」と言われる

私の他の6年生「終わった」先生「は?早くね?本当に終わったか見るから来い」

ついていく

階段周りを見た先生は「綺麗になってねえじゃねえか!」

私の他の6年生「5年生が終わったって言った」

先生「5年が終わったって言ってもお前ら6年生がリーダーなんだから見て綺麗になってなかったらやり直しさせるのがリーダーだろ!綺麗になってればそれでいいよ。なってないじゃん!なんで呑気に廊下歩いてんだよ!」と怒られる

私の他の6年生「手洗おうとした」

先生「ほんとに手洗おうとしてあそこ歩いてて5年が終わったって言ってるのおかしいと思ってたら俺とすれ違った時に あ、先生〜って言うのが普通だろ 」

すると先生は私の顔を見下すように見て「なんだてめえその顔は!私喋れないから関係ありませんって顔してんじゃねえよ!ふざけた顔しやがってお前も6年なんだから責任あるんだよ分かってんのか」

私は(うん)と頷いた

言い返せないのが悔しかった

言い返せないのわかっててこんだけボロクソ言われたんだと思った

関係ないと思ってなかったしふざけた顔をしてるつもりもなかった

私の元々の顔がふざけた顔だったのかもしれない

この後各学年の階段周りの掃除当番の子達を呼びに行き掃除のやり直しをした

5年生が言った「掃除終わった」という言葉は自分達の掃除する区域だけの掃除が終わったということだったらしく階段周り全体の掃除が終わったという事ではなかったらしい

5年生は「私達やったのに」と文句を言いながら掃除のやり直しをしていた

この事があってから私は表情をほとんど作らなくなった

ずっと同じ表情でいればふざけてるなどと思われないだろうという回避行動だったんだと思う

初めて声が出せなくなった日

私の覚えている限り私が場面緘黙症の症状である声がのどに詰まる感じを初めて体験したのは幼稚園の卒園式の練習のとき

普段は友達と遊んだり話したり普通のこどもだった

名前を呼ばれたら手をあげ大きな声で「はい」と返事をして園長先生の方へ進むのよと言われる

私の名前が呼ばれる「ひかりちゃん」

その瞬間手も上がらないし声も出ない

なぜか返事ができない

後ろに並んでいた男の子が「手あげて返事するんだよ!」と私の手を掴み上にあげる

しかし返事ができないため前に進めない

すると後ろの男の子に結構強引に背中を押されて園長先生のところまで進む

その後普通に練習が進み担任の先生に「ひかりちゃん小さな声でも大丈夫だからお返事頑張ろうね」と言われその日の練習が終わる

終わった後は普通にしゃべっていた

その後何回か卒園式の練習をしたが毎回後ろの男の子に手をつかまれ背中を押されるという練習をして卒園式当日を迎える

担任の先生「今日は本番だからしっかりお返事しようね」

場面緘黙症児にとってはこのお返事しようね頑張ろうねっていう期待がかなり重い

返事したくなくてしてないんじゃない

したくてもなぜか返事ができないのだ

返事しなきゃしなきゃと思って私の番がくるがやっぱり返事はできず後ろの男の子に押された

その日だけは園長先生に「今日もお返事できませんでしたね」と言われてしまい胸が締め付けられた

終わってからも母に「大きな声で返事しなきゃだめじゃない!なんでしなかったの?返事しなかったのあなただけよ恥ずかしいわ」などと言わた

この時の特定の場面は壇上で名前を呼ばれ返事をする事だったのでしょう

このときは怒られただけで誰も障害だなんて思わなかった